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アメリカ西海岸標準時間1月19日(土曜日) 今朝の大久保さんからのメールで、ジョンが昨日サンディエゴで脳溢血で倒れ、入院したと知らされました。バフィーに直接連絡することは遠慮すべきであると思い、直ぐにヘンリー・ディルツに電話をしました。
ジョンは、この処、LAに滞在しており、ラス・カンケル、ブライアン・ギャラフォーロ、リンジー・バッキンガム、それにヘンリーのハーモニカとバンジョーと言ったメンバーでのレコーディングをしていたのですが、ちょうど、バフィーが治療の為にサンディエゴに来ていたので、ニックが、ジョンとバフィーの為に、サンディエゴに2泊分のホテルを用意してジョンを招いたのだそうです。そして、17日(木曜日)の夜に、そのホテルのレストランにて、ニック・レノルズ夫妻とジョンとバフィーとの4人で食事をし、その後で、近くリリースされるトリオのCDの音源を聴いたりと、終始笑いの絶えない楽しい夜を過ごし、部屋に戻った処で、ジョンが凄い頭痛を訴え、直ぐにベッドに入ったのだそうです。18日の明け方になり、一度ジョンは目を開けたのですが喋ることが出来ないことが分り、バフィーが救急車を呼び、サンディエゴ市内の病院へと運ばれたそうです。 バフィーからヘンリーに連絡が入ったのは、18日の朝になってからだったのだそうですが、その時点で、バフィーは、ジョンが子供の様に安らかに眠っていて、もう天国へ旅立ってしまう準備が出来たと言っていたそうです。
私がヘンリーに電話をし、ジョンの容態を尋ねましたら、「もうそろそろ旅立つ頃じゃないかな?」と言うのが最初の言葉でした。ちょうど、大久保さんから知らされたClack’s
Cellerのニュースのページを目の前のスクリーンに開いていたのですが、ヘンリーと話始めた時点では、18日にジョンが倒れた旨が記載されていたのですが、話している中に、19日、今朝ジョンが他界しました・・・・と言うニュースがアップされました。
ジョンは、子供の頃に、父親から異常に厳しく育てられ、良い思い出を持っていない為、常に、彼の周りで起こることの細かな部分まで気になり、凄く神経質だったので、ジョンがリラックスした時に接することが出来た人は非情に稀だったと思われます。それが、近年に次第に進行していたアルツハイマーのお陰で、父親との経緯の記憶が薄れて来た為に、ここ2,3年では、本当に良く笑うようになっていたそうです。バフィー曰く、そうした幼少の頃の苦い思い出が消え去った状態で、天国に旅立てるのでとてもハッピーなことだ、とのことです。
本当に最後のアルバムとなってしまった、レコーディングのセッション中にも、コードを忘れてしまったり、急に違う事を始めたりで、周りの人を困惑させていたようですが、ラス・カンケルもブライアン・ギャラフォーロも、自ら進んでこのセッションに参加したそうです。そして、或る日、リンジー・バッキンガムも遣って来て、ギターを弾いたのだそうです。ヘンリーも、ハーモニカとバンジョーで参加しており、今度の火曜日(22日)に、ハーモニカのパートをオーバーダブする予定が入っていたのだそうです。この最後のアルバムの行方は、今の処、はっきりしていないようですが、ジョンのヴォーカル・トラックは全て録り終えているそうですので、後は、楽器とコーラスのオーバーダブが終われば、ミックスダウンが出来るようです。 久しぶりに、一流のミュージシャン達とのセッションになった訳ですので、最後のアルバムに相応しいと言えるのかも知れませんね。又、こう言う状況をフェアウェルに世を去ることが出来たジョンは、本当に神に祝福されていたのですね!
ジョンのメモリアル・サービスは、本人とバフィーの意向で、9か、足して9になる日にしたいとのことですので、恐らく27日になるのではないかとヘンリーは言っていました。
私がジョンと親しくなれたのは、1980年以降になってからでした。 確か83年か84年のクリスマスの直ぐ後に、当時ジョンとバフィーが暮らしていたマリブコーブの家の裏庭のラウンジチェアーに座って、12月なのに暖かく、眼下に広がる海の上には、未だバーンアップしきれていない霧が残っていて、水平線がはっきりとしない空とも海とも言えない彼方を見つめながら、バフィーが作って下さったターキー・サンドイッチと、バフィーの故郷北欧で、クリスマスの時に作るフルーツケーキのような物を食べながら、ジョンと宇宙について話したこと。
ジョンがアンティリーズのアルバムをプロデュースしてくれると言ってくれたこと。
マッケーブスでのショーの後で、これから生まれてくる私の長男の為に、マッケーブスの幼児用T-シャツにメッセージとサインをしてくれたこと。
ガード・トリオとスチュワート・トリオのリユニオン・ツアーの企画ミーティングがウエストウッド・マーキーで開かれ、ジョンとデーブに挟まれてカウチに座った時のこと。
デーブの追悼を終えて帰宅した時に、私のアンサリングマシーンに、バグパイプの奏でるアメイジンググレースが長く録音されていたのを、興奮してジョンに伝えたこと。
サンクスギビング・ディナーの後で、ジョンが真剣にアンティリーズのコーチをしてくれたこと。
アネスト・ウォーレズの話を聞かされ、もう2度とそれまでの気持ちではOmaha
Rainbowが唄えなくなってしまったこと。
The
Weightはロックだから、もっとロックしなくちゃ駄目だよって言われたこと。
Chilly
Windsの3番を自分の書いたバースと入れ換えて唄うことを、「フォークソングは常に変化するものだから、当然のことだよ!」と言って許可してくれたこと。
新宿のサンルート・ホテルのジョンの部屋で、お互いの女性観について駄弁っている中に、2人して眠りに落ちてしまい、BITでのパーティーに遅れてしまったこと。
ラ・カーニャで一緒に演奏した時に目が合った時のジョンの表情が、あのキングストン・トリオのジョンそのものであったこと・・・・・。
音楽は、曲は、誰かが作らなくてはいけないことを教えて下さったのを筆頭に、私の人生は、ジョンによって物凄い影響を受けました。デーブのことを色々と教えて下さったのもジョンでした。 ヘンリーが言っていましたが、本当に多くの人達にとって、今日で、1つのページが閉じられてしまった・・・・・・・・。
バフィーも言ってましたが、ジョンが最後に、大好きなニックと楽しい一時を過ごし、子供の様に安らかに旅立つことが出来たことを、本当に嬉しく思います。
Thank
you very much, and I really loved you, uncle John.
Wish
I were a ray of light on a westbound plane I would be your
fallin’ star Until we meet again Out where them Chilly
Winds don’t blow
Bon Voyage, John!
Kaz
Sakamoto |
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Thanksgiving Dinner with John '01 |
Live with John '01 |
>>Californai with John
'01<< |
>>Cody with John
'01<< |
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残念ですね My condolences. May God be with you
John.
トレ管 |
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朝がたのLAからの電話は、デイブがなくなったときと同じ。いつか来るとはわかってはいても、さびしいです。数年前に来日したときに新宿で坂本から始めて紹介されたときのあのこわいジョンが、そして一日中東京を回って夜アンテリーズの練習を見てくれた穏やかなジョンが頭の中を駆け巡ります。一緒にライブをやらせていただいた思い出、そのときの歌っている間のジョンの目、大切に心の中に大事にしまいながら、心からご冥福をお祈りします。あなたになりたかった。
マスコ |
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今晩の月は格別に明るく輝いています。 月面を歩きたがっていたジョンの為に輝いているようで・・・・マスコ殿のコメントを読んだら、涙が止まらなくなってしまいました。 何だか急に寂しくなってしまいました。
Chipからのメッセージです:
I'm
sad to hear that. It was his song that gave me my first
produced hit record. Thanks for letting me know.
Chip
Kaz Sakamoto |
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今日は朝から「Lonesome
Picker」を聞いています。 私の仕事部屋の本棚の上にKeyenceの世界最小のラジコンのヘリコプターが置いてあるのですが、これはジョンと一緒に99年頃に購入したものなのです。最近ハンズなどでよく見るハミングバードの様なヘリとは違い、本格的なジャイロが2つ搭載されているものです。 このヘリを旨く操縦する為に、随分、ジョンと意見を交わしたものですが、結局、ラジコン・ヘリは、小さければ小さい程飛ばすのが難しいという結論を出して終わってしまいました。 竹ひごを使った補助車的なスキッドを提案してくれたのもジョンでした。 ローターブレードはスチロール製なので、着地にしくじると簡単に破損してしまう為に、私が東京へ行く度に、銀座天賞堂で、スペアーのローターブレードを自分とジョンの為に入手したものでした。
今、このヘリコプターを見つめているのですが、何だか、勝手に飛び立って、何処かへ飛んで行ってしまうように見えます。
Kaz Sakamoto |
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Monkeesファンにとっても、Daydream
Believerと言う素晴らしい作品を世に送り出してくれたことを忘れることはないと思います。 ご冥福をお祈りします。
marco |
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